鳶飛魚躍

 対人恐怖症、統合失調症と共存して生きています。日頃の行いを頭の中で整理する為のアウトプットとして利用させて頂いております。ご容赦下さい。気分屋で症状のこともあり、課せられて書く、載せるよりかは暇潰し程度に気分が乗った時に日記程度にのせてます。

自身の心、想い、いまは空ける時と思ってそれでも動く身体の部分に感謝して生きていく。

 こんにちは。今日は寒いですね。朝の5時台に起きてパソコンをいじってました。珈琲を飲んで、薬、また珈琲で、朝食はバナナとヨーグルトとプロテインを摂りました。なんだかんだで8時30分くらいまで起きていられたのです。先週の睡眠の安定が功を奏したのか、そこまで疲れていなかったので、ジムに行ってきました。筋トレの後の疲れは気にせずにしていたのです。それでも、仮眠と怠惰な姿勢で家に帰ってきて過ごしていたのですが、その怠惰なこともそこまで自身を強迫的に追い込むことはなかったです。筋トレ後の高揚感なのか、そこまで頭(脳)が働いていないだけなのかはわかりませんが、両方だと思います。夕方から夜にかけて頭(脳)が働いてくると反省しだすかもしれませんが、怠惰なことを責める気には今現在はないのです。気が急いだすとジムに行く強制感が出る以前とは違って若干自然に外に出られたので収穫は無意識にせよあったと思います。時間が過ぎるのを呆然として見送っている今の状態です。こういう怠惰な時期も昔はあったなと遠い過去のことを想ってはないのですが、只有ったと抽象的に思い描いている若干いい気分の諦観めいていて自身がいて、感慨深いです。そこまで過ごす時間の内容、事に関しては何ら替わらないのですが、過ごす姿勢で考えの景観が傾くのがまた考え深いです。きっと私の中の理性の知恵の部分の経験での工夫の変異がこうやって景観を若干ずつ変えていっているものかもしれないです。同じ景色、同じ場所、同じ考えではあらんとする生きていく工夫なのかもしれないです。自力と他力、両方を少しずつ混濁していくことによっての瞬次の変更、または維持、活動なのでしょう。自身の意志も若干でも貢献していきたいですね。頭(脳)が昼、日中は働かんとする長い現状においては私の本能の部分がおおいに活躍してくれていることに感謝せなければなりませんね。負担を掛けている部分に感謝していきたいところですが、私自身は決して善人では在れないので、無理をしてしまう、図に乗ってしまう、性格、特性があります。長年の経験から、長所でもあるこの特性を自制心で抑えてきました。自律しようとするこの部分の感情にも感謝して慈しむ必要があるでしょう。私の身体を構成するものに慈悲をもって大切にしようとより想うことが必要でしょう。謙虚であることは私にとって自制しすぎる部分もあるので、意識的に謙虚であることからの開放を望んで生きようと思います。