鳶飛魚躍

 対人恐怖症、統合失調症と共存して生きています。日頃の行いを頭の中で整理する為のアウトプットとして利用させて頂いております。ご容赦下さい。気分屋で症状のこともあり、課せられて書く、載せるよりかは暇潰し程度に気分が乗った時に日記程度にのせてます。

攻撃性の転嫁、自己理解とはあるか?脱力と倦怠なしに生き抜くことは出来るのか?これらの暴走の思考を解す作業を求むる冬。

 こんばんは。今日は朝、夕、冷え込んでいたみたいですが、私は朝方は爆睡してました。最近は睡眠が不規則です。冷え込みで睡眠が浅いと思っていたのですが、どうやら、そうでもないみたいです。朝方の睡眠が本睡眠みたいに調子をかえているのかもしれません。睡眠薬はもはや、効き目は発揮せずに受診となりそうです。睡眠導入はあっさりといくのですが、深夜に起きて、やることもなくパソコンをいじったりしているので、精神衛生上、よくないことはわかっているのです。前にブログに書いていたのですが、訪問看護の方に愚痴をこぼしたりしているのです。それも、本能的欲求による、転嫁にあると思い始めました。良い意味においても、悪い意味においても、攻撃性や意欲、探求心、向上心、野心が往き処を彷徨っている形でしょう。自身の正当化かもしれませんが、薬を飲んで抑える部分が反発的作用を施して、余計に意識を暴走させているのかもしれません。勿論、食べ物、運動の抑揚、頭(脳)の働かないことによる、習慣的読書とパソコン作業の無理強いも強迫的観念を強めているのかもしれません。結局は無理をしないことが安直な判断なのかもしれません。シンプルな思考に落とし込む為にはそれなりの経過、自己観察、自身と他人(ひと)の客観的判断が必要です。今の自身にとっては、訪問看護の方の経過観察は無理強いな部分もありますが、手抜き出来ないものかもしれません。少しずつではありますが、問題提起と解決をしているわけです。訪問看護の方の力、家族の力を借りて、この冬を生き抜こうと思います。間髪入れずに問題は起こってくるので、生きることに執着する必要があります。時間の経過を待つ、土岐を待つことになりそうです。その中で自身に出来ることは無理強いしない、リラックス、考えることではなく、感じること、必要なときに行動することです。退化はせずとも、ほんの微々たる、少しずつ、若干ずつ、退行し、中間へと自身の身体を落とし込むことかもしれません。なかなか、難しい問題かもしれませんが、迷ったときは生き抜く為に今、現在、どういった行動をすべきかを感じ取ることが重要かもしれません。私は生かされているのです。先祖代々、次いできた時代を繋いでいるのですから、生きることに執着することは弱くともしなくてはならない試練を受容する以上、必須なことかもしれません。こういった考え、感じ方では力は抜けないのかもしれませんが、一瞬でも数秒でもリラックス出来たらいいのかもしれません。オンとオフ等、自然界に生きている以上ないのかもしれません。だからこそ、呼吸が重要視されてくるでしょう。謙虚な生き方、率直な真面目さを活かしてこの冬を生き抜こうと思います。