鳶飛魚躍

 対人恐怖症、統合失調症と共存して生きています。日頃の行いを頭の中で整理する為のアウトプットとして利用させて頂いております。ご容赦下さい。気分屋で症状のこともあり、課せられて書く、載せるよりかは暇潰し程度に気分が乗った時に日記程度にのせてます。

行動について少し書いてます。

 こんにちは。今日も晴れています。ここ数日天気がいいです。朝に出掛けてきました。行動についておもいます。おこなうこと、うごくことです。自発的な行動とひとに看過されて行動することがあります。私のようなものは自発的な行動を良しとしてひとに言われて行動したり、強制や強要とかくと印象的によくないですが、印象通りよくないことなのかもしれません。私は何かインスピレーションで感じて行動したことも元を辿れば、誰かにだったり、ものやことに看過されておこなうこともあります。家に居れば、あちらこちらに行動のタネなるものはあるわけですが、テレビやパソコン、ネットや情報などは昔はなかったわけで、そういうわけでは、今の現代のほうが、行動のタネなるものは昔よりかはあるわけです。しかし、ネットやパソコンの情報などはここ最近になって質が悪いほうへと向かいつつあります。フェイクニュースだったり、論文の情報であっても、何年か前までの情報が書き換えられたりしてしまう世の中です。そして、次から次へと新しい情報が更新されて、あれがいいとか、この情報のほうが正しいのではないかと皆が困惑しているのです。結局は自分で試行錯誤して試す羽目になるような気がします。実際、誰かが試行錯誤して試して実験しているものです。博士や研究者がおこなっているために信ぴょう性があるのかもしれません。今は芸能人やら有名人がおこなっていることが取りざたされています。数的優位なものやこと、多数派がよいとされたりします。自分自身で考えたり、行動したりすることがあまりないこと、考えるということはよくないことのようにおもっているのかもしれません。長くなったので終わります。

 

アウトプットと気持ちをひらく必要性を想う。

 こんにちは。今日は午前中は晴れていたのですが、午後辺りから雲行きが怪しくなってきて、今さっき小雨が降り始めています。朝に散歩に行ってきました。自分らしさなんてものを考えています。この症状というか病気というか特性上、建て前を良く濃くしようとしてしまうわけですが、それが無理をたたってしまうようです。皆さんこの症状でなくてもそうでしょうが、この症状の方は生きづらさを感じるほどに建て前が根強いのかもしれません。そして、本音を語ることが難しい状態になるのでしんどいです。というか、ひとを信用出来なくなったり、孤立してしまいます。回復していく方も居ますが、私の場合、瀬戸際に追いやられているようです。モノローグといって自問自答していってアウトプットに困っていくようです。ひとと接すると回復するのはわかる気がします。客観視して自分を認めるようになるからですかね。認知行動療法に関わったり、仕事したり、ひとと作業したり、色々と(ひと薬)といいますか、ひとと関わっていく中でひとの印象がかわるのかもしれません。自分の気持ちをオープンにしていく、ひとと関わって、自分のことを語ることが回復につながるのかもしれません。ダイアローグしていくことは勇気がいるのかもしれません。でも、自分をかえるには必要なことなのかもしれません。ソーシャルワーカーさんは外出を強くはすすめません。医者はデイケアをすすめます。どちらも強要しないので案外悪いひとではないのかもしれません。ダイアローグしていくためにひとと関わる機会を持とうとおもいます。

 

分けられた、くばられた力で自力を取り戻していくスタンスを守る。

 こんにちは。今日は晴れています。先週、受診だったのですが、医者に「外出しないとどんどん出れなくなりますから、頑張ってください」と言われました。私は控えめに言って、「あまり出れていないです」といいました。一応外出はしているのですが、全然出れていないと解釈されたのか、日本語は難しいです。デイケアに通っているときも医者は過小評価されていました。ワーカーさんは割と評価してくれるのですが、医者は厳しいのかもしれません。医者の言う事はきいたほうがいいのでしょうが、腑に落ちないです。医者はデイケアにこだわるみたいですが、ワーカーさんはそこまでデイケアに通うことは強制しないです。医者がこだわっているので、行きたくなくなります。毎回デイケアの話しを出すので、私は医者の面談はあまり受けたくはないです。強制するのは間違っているとおもうので、穏やかになってほしいです。私もとらわれているところがあるので強制してくるのはどうかとおもってしまいます。「出てください」とか「頑張ってください」とかいわれるのはしんどいです。今回の受診は、父が同席してくれたので、外出の話しをきいてくれていました。公園の散歩に連れていってくれました。父も父なりに考えてくれているんだ、と少し見直しました。私は時間を掛けて、少しずつ自分の力を育んでいくつもりなので、自分軸で生きていきたいです。他人の力は助力で合理的配慮を求めて生きたいです。自立するために自分の意思で生きていきたいです。ひとの意見に流される節があるので、自分の意見を大事にいきたいです。スタンスをかえずに自分の出来る限りの範囲で少しずつコンフォートゾーンを拡げて進歩できたら、とおもっています。少しずつの成長を課題として、マイペースに大股にならずに進歩出来たらと、おもっています。

 

感じるあやまりのこころを書いてます。

 こんにちは。今日は朝から雨が降って、日中の午後の段階でも降り続けています。今日はあまり気分が良い状態ではなかったです。事情があって、気分が落ちていました。色々なことが要因となって落ち込みました。環境です。自分の中の精神的なもの、親のことなどわかっていることは色々とあるのですが、全てを加味しても一筋縄ではいかないものです。解決に難しいものです。私たちは難しいものを抱えて生きているのでしょうか。精神疾患では薬や環境調整だけでは上手く解決出来ないものを抱えて生きています。今、現在では解決出来ないことを抱えて、その場、その時間を何とか生き抜いています。わかって欲しいのです。見つけて欲しいと願います。苦しんでいることを知って欲しいのです。でも、精神疾患の方以外にも戦争で苦しんでいる方もいます。仕事で辛い想いをしている方もいます。病気で苦しんでいる方もいます。ひとは皆、平等だとおもっていました。でも、苦しい、辛い渦中にいる方にはそんなことはおもえないのですね。私は時間が解決してくれるとおもっていましたが、切迫した想いを抱えている方にとっては今を乗り切ることに精一杯で生きている実感が湧かない方も多いのですね。私は楽観視していましたが、感謝の気持ちを持ったりすることは大事ですが、生きることはそんな生易しいものではないのかもしれません。一瞬一瞬を笑ったり、楽しんだり、そういう想いを思い出にして、辛い日々を過ごしているのですね。わかるということはそれも難しいことなのですね。理解するということは難しいのですね。長くなったので終わります。

 

時間の定められた仮のものについて想ったこと。

 こんにちは。今日は晴れていて、気温も低いです。午後から曇る予定でしたが、日が照っています。朝から出掛けることはありませんでした。午後から、久し振りに読書しました。かなり集中出来ていたのではないかとおもいます。パソコンを開いて、ネットで情報をみたりしても、あまり良いことはないです。久し振りに読書出来たので、達成感はあまりないですが、少しだけ高揚感はあるようです。集中すると周りのことを少しは考えなくて済むようにおもいます。時間を有意義に過ごせたのかはわかりませんが、少し頭は冴えているのかもしれません。パソコンでネット情報をみるよりかは健全であるようにおもいます。ネットをみていると罪悪感のようなものを持って過ごしてしまいます。自分が健全でないと自覚してしまうからかはわかりません。以前に私は、時間はあると書いていました。それは、そうではあるのですが、有益な時間の遣い方をしているという意味ではそうでないのです。日中に出掛けることが私にとっては進歩であり、成長であり、出来る限りのことをしている、出来ることをしている、となるのです。時間を無駄にしているということはそのひとの価値観であり、ひとから強要される必要はないのです。どう過ごそうが、一人ひとりの勝手であって、強要されるものではないのです。一日中寝ていても、ゲームしていても、価値観の問題であり、ひとに害を与えなければ、問題ないのです。強迫傾向のある私みたいな方、症状の方は自身を大事にする必要があります。ルールやモラルに縛られるとしんどい想いをします。犯罪をすることをしていけないですが、普通に生きる人権があります。私のような症状の方は時間に縛られていて身動きできない状態になってしまいます。時間はあるのですが、有益に過ごせていなくても、守られて生きることが出来る社会が造られていってほしいです。

 

緩慢と集中で自分に合った方法を探して症状と付き合っています。

  こんにちは。今日は明け方から雨が降っていて、昼過ぎまで降っていました。腰痛から背中の痛みに派生して痛みが何週間か続いていたので、病院に行ってきました。レントゲンをとっても異常はありませんでした。病院から帰ってきて、疲れていたのか、床に横になっていました。背中の痛みはとれていませんでした。神経にあたって痛みがあるのですが、無性に甘い物を欲していてソフトアイスを一個だけ食べると満足したのか、何故か動けそうな感じがしたので、立って作業していました。どうやら、一時的な神経の緩慢になったのか、動けるようになりました。感覚過敏で神経が尖って刺激するみたいです。憶測なのですが、調子の悪いときは無理しないほうがいいです。また、甘い物の食べ過ぎもよくないので、程々にします。ジムにいって、筋トレをするときもグッとウェイトをあげたり、りきんだりして力を出しますが、私はあまり向いていないようでした。筋トレから帰ってきて幻聴や妄想が強く症状として出ることが多々あったからです。仕事をしていて、整体院に通っていたときは筋トレをしたり、有酸素運動(ウォーキング)をしたりして、身体の状態を逐一、診てもらっていたときは、筋トレよりも、有酸素運動をしているときのほうが身体の状態がいいといわれました。向き不向きが個人差であるのかもしれません。筋トレも程々にしておけば、効果がある方もいるかとおもわれます。ウォーキングや散歩は緩慢というリラックス効果があるかとおもいます。ウォーキングや散歩は神経が過敏な症状の方には運動効果も期待できるようです。これも個人差があるので、程々にすべきですね。筋トレも神経の反射作用です。過敏な方も個人差ですから、そういう症状として幻覚、妄想が出やすくなるのも私が当てはまっただけかもしれません。考えてみても、精神疾患の方は外来や病院で極端にムキムキな方はあまりみません。時間を掛けて、自分に合った方法でボチボチ出来る限りの方法で病気と付き合っていきたいです。

 

決められた時間に配慮する。でも、焦らない。

 こんにちは。今日は晴れていて少しだけ寒かったですが、午後はちょうどいい気温です。外出はしていないですが、過ごしやすいです。私は昨日、朝の薬を飲み忘れていて、午前中に飲むことは出来たんですが、その後、夕方くらいから体調を崩していました。油断していたわけではないとおもうのですが、薬の飲み忘れはこれまででなかったことなので、少し不安です。風呂に入ったときにシャンプーとトリートメントをしていてトリートメントをしたのを忘れることはよくあるのです。時間のゆとりは暇なのであるとはおもうのですが、これで気を付けるようにはなるので教訓として忘れないようにしようとおもいます。学生時代は忘れ物はしょっちゅうしていたのですが、今はそれこそルーティン化しているものばかりでこの時間帯になったらこれをしようというものばかりです。就労移行支援事業所では支援者に「せないかんことばかりやな」と悪い意味ではなくいわれていたので、少し思い出しました。 私生活のことも少し話していたのでそういう意味では支援者を信頼していました。家ですることやいつもしていることなどを支援者に話していて理解はしていたかはわかりません。でも、穏やかな方でした。あの頃に比べると成長しているようにはおもえません。この症状にとってはいい方向にはいっているのかもしれません。完璧主義や真面目さが少しマイルドになっているようにはおもいます。全てを受け入れる感じの頑なさは残っているのですが、時間の緩やかさがそうしているのでしょう。自分で取捨選択しているので、誰をせいでもないです。自己責任なのでしょう。ワーカーさんが言うには、「病気のせい」なのでしょう。脳自体が病んでいるので行動や言動がおかしいと感じたり、奇異な感じを受けるのでしょう。受け入れて付き合っていくしかないのです。認知行動療法をしたほうがいいのかもしれませんが、精神科リハビリのデイケアにいくことが難しくなっています。時間が解決していくことを願って自分の出来ることを出来る範囲でおこなっていくしかないです。ワーカーさんの云っている「穏やかなときを増やしていく」をおこなうことで穏やかな時の恒常性を身につけていけるように努めていきたいです。