鳶飛魚躍

 対人恐怖症、統合失調症と共存して生きています。日頃の行いを頭の中で整理する為のアウトプットとして利用させて頂いております。ご容赦下さい。気分屋で症状のこともあり、課せられて書く、載せるよりかは暇潰し程度に気分が乗った時に日記程度にのせてます。

後悔の念を持ち、兄の存在意義の肯定の為に謙虚に生きる日を目指す。

今晩は。今年もお仕事、勉強、生きることをしてきた方お疲れ様です。私は今年は大成することはなりませんでした。でも、それは私にとっては善い事だと思います。私は今は上手くいくときではないからです。伸びしろという言葉は軽い言葉になってしまいますが、長い人生を生きていく中でくだる時はあっていいものだと思います。私はいまは人生の途中経過でありこれからも生きていく所存であります。最近、以前にもあったのかもしれませんが後悔はないのではないかと想ってきています。長男に先立たれたことは悔しいことではありますが、兄も人生に後悔はしていないものと想いたいだけかもしれません。でも、兄も一生懸命に生きていました。入院生活は苦しいものだったと思います。彼はその中でも懸命に生きました。そして、家に戻ってきて、私は彼に「一緒に住みたくない」と言いました。口論、喧嘩は日常茶飯事であり、彼も抵抗してきました。私は行き過ぎた事をし、言葉で論い、私も反発してきました。でも、それでも一緒に生活してきました。その中で彼は私が苦しむ姿を観て涙を流し一緒に哀しみを共有してくれました。同じ病気を持つ者同士でわかるものがあったのしょう。彼は人生を悟る様に優しくなっていきました。私が苦しむのを只、憐みを持って共有してくれました。私は只行き過ぎていました。彼は私の存在を肯定し、柔和してくれようとしました。只でも、私は行き過ぎていました。ここまで打って後悔の念が出てきました。私はエネルギーを止めることができなかったのです。私は後悔はしていなくても振り返ることは必要でしょう。省みることも必要でしょう。人生の蓄積がある以上たまに振り返って、私を肯定してくれた彼の人生を肯定する為にもこれからの人生で彼の存在意義を継承していかなけばいかないのです。私は気付かない内に暴走してしまいます。家族、他人(ひと)、薬、環境に頼らなければ生きていけません。仕事に取り掛かるには未だに気が早過ぎるのか、自我と闘う必要があるのかもしれません。今の私に出来ることは、周りの他人(ひと)と環境を整えることでしょうか。家族を大事にすること、理性を保つ様に努力すること、課題は山積みです。彼の人生を肯定する為に謙虚に生きていけるように精進します。