鳶飛魚躍

 対人恐怖症、統合失調症と共存して生きています。日頃の行いを頭の中で整理する為のアウトプットとして利用させて頂いております。ご容赦下さい。気分屋で症状のこともあり、課せられて書く、載せるよりかは暇潰し程度に気分が乗った時に日記程度にのせてます。

摩擦が大きい分、体を少しずつ慣らすことを心掛ける。

 今日は耳鼻科通院からの訪問看護でした。そして、何か導かれるように100分で名著のアドラーの回を観ている。今日は休みなのにも関わらず朝あまり時間がとれなかった。アドラーの回を観ながら日記を書いているがやはりかなり抵抗があるらしい。私はアドラーを受け入れられないらしい。「自分は自分、人は人」を読んだ後だからかもしれない。アドラーのキーワードは「嫌われる勇気」だからだ。2人の支援者がアドラーを薦めてきたのにも理由がある。私は嫌われるのを確かに恐がっている。私は一皮むけるにはアドラーという人を受け入れる必要があるのかもしれない。少しずつアドラーの考えを抽出して体に慣らしていくか。多少の痛みはあるかもしれないが、少しずつアドラーの情報を入れていくか。楽なほうを選ぶということは必要かもしれないが、この点も「急がば回れ」かもしれない。無理はせずに少しずつ・・・。やはり0か100か思考はろくなことはないらしい。それは先週だけでも痛いほど味わった。かなり最近は人生について学んでいる。0か100か思考の自分には相当な摩擦だ。飛行機が不時着するような感じなのだろう。いつかは痛みも消えはせずとも、慣れていくかもしれない。対応し、耐久的になっていくのだろう。本で「心の傷は脳の傷」といったものだ。日記も深追いはしないでおこう。行きつまりをするかもしれないから・・・。せっかく手に入れた情報の多い脳の整理手段だ。まだこの先人生は長い・・・。この辺で楽観的なことを書いておこう。今日の訪問看護の方は長く話してくれる優しい方だ。ほぼ同年代ということもあって青春時代の話ができる数少ない他人(ひと)だ。人生においての勉強など少しずつでいいのかもしれない。焦りすぎず、大阪で数え切れないほど聴いているボチボチだ。少しずつ慣らして行こうと思う。摩擦が大きい分ちょっとずつ・・・。