鳶飛魚躍

 対人恐怖症、統合失調症と共存して生きています。日頃の行いを頭の中で整理する為のアウトプットとして利用させて頂いております。ご容赦下さい。気分屋で症状のこともあり、課せられて書く、載せるよりかは暇潰し程度に気分が乗った時に日記程度にのせてます。

「尊敬」することは私にとっては沸いてきて、できている感情?

 「明日朝からジムに行こう」と昨日は意気込んでいたが、今日の朝、疲れからかあまり行く気がしなかった。明日からの支援事業所でどう左右するか分からないが、善いほうに転ぶといいなくらいに思うことにしよう。だが朝つけていたテレビでも得るものもあってあまり今、後悔はない。そして、朝本屋にでも行ってみようと思った。アドラーの「幸せになる勇気」を見つけた。偶然ではあるが、「嫌われる勇気」の続編を見つけたのである。今日は先週の二の舞はなりまいと少しで読むのは止めておいた。アドラーの論は少しずつ抽出して脳に入れていかないと痛い目に遭うと解っている。今日は時間が有ることもあり日記を書いた後も読むことを自分で止めることはできるかは判らないが・・・。今日は本の中で「尊敬」というキーワードを得た。私は「他人(ひと)を尊敬できているだろうか?」と考えた。まず身近な支援者を尊敬できているだろうか?と考えた。日記にも「尊敬しなければならない」や「尊敬したい」と書いているが、ありのままに尊敬できているだろうか?と考える。やはり、強制感があるのだろうか。mustな考えを持っているのだろう。ここで自分を卑下してしまう。「自分の感情を否定しないこと」を教えられたばかりだ。思考が右往左往している。今はまだ気付くときではないかもしれない。不必要なトリガー(きっかけ)だったのかもしれない。今日も私の理解力にとっては難しい作業だった。ここで楽観的な考えに切り替えておこう。そういえば、今日の「シューイチ」は興味深かった。大家族で長女が自立したいが家族のために自立の道をひとまず諦めるという内容だった。家事や仕事などしっかりされている長女さんだった。彼女は尊敬に値する方だった。こういう感情でいいのか。本の続きは読んではいないので解らないがこういう感情なら日々の生活で支援者に対してだったり利用者さんには持っている感情である。沸いてくる感情でいいのか。日記もここらへんで止めておこう。沸いてくる感情のトリガー(きっかけ)でやめておこう