鳶飛魚躍

 対人恐怖症、統合失調症と共存して生きています。日頃の行いを頭の中で整理する為のアウトプットとして利用させて頂いております。ご容赦下さい。気分屋で症状のこともあり、課せられて書く、載せるよりかは暇潰し程度に気分が乗った時に日記程度にのせてます。

ひとの気、気配で濃いものではなく薄い平らなものに意味、存在意義を感じる。

こんにちは。今日は朝から雨が降っていたのですが、散歩がてらに郵便局に寄ってきました。最近は散歩をよくしているのですが、雨が降ると少しどんよりした気分になります。そして、独りではないのですが孤独感は増すように感じます。文章を綴っても、絵を描いても心は満たされない感覚が押し寄せてくるここ数日です。見返りを求めてもしょうがないのですが、神や仏様にみていてくれていて助けを請うているようです。散歩や文綴り、絵描きでは人恋しさは満たされないのはわかっていても、それしか術や今の処は居場所というものはないです。職業相談に定期的に通っているので、その繋ぎで感情の揺れ動きがあります。ひとの気や気配を感じるだけで嬉しくなったり、帰ると者悲しくなってしまうのです。一人暮らしをされている方はそうなのかもしれませんが独りを感じる時間が多い程他人(ひと)の存在価値が高まるのでしょうか。私は未熟、弱い自身を受け入れたいのです。他人(ひと)の気の出入りの反復作業が2年前働いている時は苦痛でした。毎朝奮い立たせ、エンジンをかけて急いで身体の準備をする。2年前と比べると大夫緩やかになってきています。今焦りがスーっと引きました。私はこのままでいいんだと、良い方向に向かっているんだと思いました。ひとの気で少し揺れ動いている。でも、それが今の自身の許容範囲なんだと思えます。平らとはいえないまでも日常生活を薄く敷き詰めていけば感情も落ち着いてくる。少しずつ薄く出ていける範囲を拡げるのがベストなんだと思います。私の頭(脳)もまだ正常な処はあるようです。薬と訪問看護、散歩、文綴り、絵描きで少しずつ社会と繋がりを得る機会を焦らず待とうと思います。ひとの言動で貪欲になることもあるのですが、焦らず謙虚に行こうと思います。