鳶飛魚躍

 対人恐怖症、統合失調症と共存して生きています。日頃の行いを頭の中で整理する為のアウトプットとして利用させて頂いております。ご容赦下さい。気分屋で症状のこともあり、課せられて書く、載せるよりかは暇潰し程度に気分が乗った時に日記程度にのせてます。

トリガー(きっかけ)を探し迷走、ご厚意を道標に明日を生きようと強く願う

 今日も支援事業所を早退し、やることもないためパソコンに向かう。病院に通院だったが、昨日読んだ本の内容に朝は苦しめられた。アドラーの「嫌われる勇気」という本だったかな・・・。きっと忘れ去りたいのだろう。読んだ本の内容や本の題名さえも・・・。今日は支援者の誰も信じられなくなるくらい疑心暗鬼の渦へと引き込まれ、負のスパイラルの繰り返しだった気がする。午前中でなんとか抜け出すことはできたが、吸収力強い私の性格は茨の道だ。真面目であることは最近になって精神的にも肉体的にも痛いほど判ってはきた。だが、変えようのない変な真面目さは生きたきた証なのかもしれない。この真面目さも吸収力も痛いほど判ってきてはいるものの生きてきた証だと肯定的に考えるうちは替えられないのかもしれない。この0か100という極端な思考の仕組みに振り回されている。「一喜一憂しないほうがいい」と訪問看護の方に云われたが、この状態だと替えるのは難しいように思う。時間をかけて溶かしていけるのかという不安はあるものの楽観的に考えてみよう。だが、まだ憎悪にも診られるような昨日と今日の感情を吐き出したいと脳は欲しているような気がする。日記の言葉を負の感情で埋め尽くすことによって明日を楽観的かつプラス指向にしていきたいような気がするがもう充分かもしれない。もう憎悪の感情など持ちたくはない。他人(ひと)を信用して信頼して生活していくにはどうしたらいいのだろう?今日は精神科の主治医、担当の支援者ではないが、支援者と会話してだいぶ吐き出したとは思うのだが、それでも考える容量に吐き出す容量が追いついていない。やはりエネルギーの貯蓄はだいぶ大きいらしい。極端なトリガー(きっかけ)になっているのは天命なのだろうか?私に与えられたトリガー(きっかけ)もだいぶ焦っている証なのだろうか?今日は取り敢えず精神科の主治医、支援者のご厚意を胸に刻みつけ、明日の糧にしようと思う。情緒が不安定な分強く刻みつけよう、ご厚意を・・・。