鳶飛魚躍

 対人恐怖症、統合失調症と共存して生きています。日頃の行いを頭の中で整理する為のアウトプットとして利用させて頂いております。ご容赦下さい。気分屋で症状のこともあり、課せられて書く、載せるよりかは暇潰し程度に気分が乗った時に日記程度にのせてます。

過剰反応を起こすが、調整し、軸を持ってこれからも生きていく。

 こんにちは。今日は晴天に恵まれていましたね。私は寝起きは悪かったのですが、ここ最近、ぐっすりと眠っています。今週は耳鼻科通院の時以外は、大体、平均でも10時間くらい寝ています。そのお陰か、感情失禁もあまりなく、夜は手持ち無沙汰でしんどいときもありますが、しんどい手前くらいで、休憩を摂ったり、寝たり、気分転換したり、試行錯誤しています。ここ最近、情報を入手してオートファジーというのを実践しています。リーンゲインズっていったかな?同じなんですが、リーンゲインズの機能が説明されていたので、自分もこれならまたやってみようかなと思いました。何カ月か前に「一日三食、ちゃんと食べたほうがいい」と訪問看護の方に言われたので、真に受けて、信じていたのです。一日三食に戻して、体調不良が続いていたので、薬かえたりもしたんですよ。色々なことが作用しているとは思うんですが、私はオートファジー、リーンゲインズを試してみようと思いました。薬は朝食後のハロペリドール錠を若干減らしてもらったので、それも関与しているかもしれないです。夕食後は何も間食せずに寝ることも出来ているのです。ストレスも大夫減っていると思います。空腹だと調子良いです。食べると休む、副交感神経優位になっているみたいで眠くはないですが、今の現在の間食の時間がいいのかもしれません。睡眠と朝の薬の関係で、散歩、外出、買い物が億劫だったのが少しばかり改善されました。空腹だと便通も良くて腸も回復機能を高めてくれるようです。情報通りの効果が表れているだけであって、私は只、空腹時間を長くしているだけですが。散歩、腕立て伏せ、スクワット、ストレッチ、軽い運動と空腹で体重計の平均数値もかなり改善されました。私は強迫観念があるので、思い込みも作用していると思います。思い込み、気持ちの問題はある程度ありますね。ストレス負荷が少ないので、言えることですが、規則正しい生活を心掛けると身体に心にもかなり影響しますね。これといった友人関係はないですが、その分、身軽ではあります。寂しいですが、今、現在はコロナ禍にあって皆さん大変な状況なので、やれることをするしかないですね。いつも同じことを言っているのですが、必要最小限の許容範囲でその中で自分自身に出来ることをしています。でも、今、現在があるのは自分も働いた過去があるし、経験、蓄積、苦労があるので、一概に私だけ不幸であるとは思わないことでしょう。精神的に弱くとも、自身に誇りをもって、謙虚、感謝の気持ちをもって生きていくスタンスを軸にこれからも色々なことを乗り越えていこうと思います。

文明の進化とひとひとり、ひとりの成長の人権の尊重を考える。

こんにちは。最近は専ら、熊みたいな動物のように冬眠状態です。夜も寝る時間帯はかわらずで、22時~23時くらいで、起きる時間帯は午前6時~7時くらいで、昨日はもっと寝てました。朝起きて、朝食を摂って、薬を飲んで、寝て、午前11時台に起きてます。昼食を摂ってからも、寝ることが多いです。午後2時~3時くらいから起きて、活動してます。ここ最近、ジャンプして腕立て伏せして、ジャンプして腕立て伏せしてを繰り返す運動をしてます。後はスクワットとストレッチ、気が向いたときに散歩してます。今週、精神科受診したときに薬を減らしてもらえました。朝のハロペリドール錠を若干、少なくしてもらえました。薬を少なくして約1週間ですが、幻聴も幻覚もそんなに顕著に目立って悪い処はないです。寧ろ、不安感が前よりも減った感じがします。1都3県が緊急事態宣言を出して、少し安心し、1府3県も緊急事態宣言が出たのかはわかりませんが、外出自粛が制限されて、気兼ねなくなりました。私みたいなものが言うのは憚られますが、元々、スマホやパソコン普及、機械や文明の進化に従い、大切なひととひととのコミュニケーションを蔑ろにしてきた背景があるので、私はこういった状況を造ったひとたちが被害を受けているというよりかは、物作り、農家や漁業をして齷齪働いてきた今の高齢者が被害を受けているのが私としては赦せない処です。ひとの本質的な繋がりを重要視されて育って来た方たちの重症化、重篤化は心を痛める処です。政府の会見や報道を観る限りでは、私たち、精神疾患を持つひとたちやまた、障害を持つひとたちは蔑ろにされています。私はデイケアや色々な障害者の作業所を視てきたので、会見や報道を観る限りでは私たちは軽視されているようです。今こそ、引き籠りや精神疾患、障害者、発達障害、今も軽視されている方々の生き方を見本にするべきだと思います。行き場所を社会から隔離されたひとたちは、どうやって何十年も生きてきたのか?そういったひとたちはどういった価値観を持たざるを得なかったのか?そして個々の人格を形成するに至ったのか?私は数少ない障害者議員さんに希望を託すしかないのかもしれません。ひとの気持ちをわかるとはどういうことなのか?私は政府の今後の活動の移行はどうなるかはわかりませんが、俯瞰してみて、私も厳粛、慎ましく行動していこうと思います。認知症治療の第一人者が自分が認知症になって初めて苦しさがわかったと云っていましたが、そうなのかもしれません。私は考えて行動しようと思います。

攻撃性の転嫁、自己理解とはあるか?脱力と倦怠なしに生き抜くことは出来るのか?これらの暴走の思考を解す作業を求むる冬。

 こんばんは。今日は朝、夕、冷え込んでいたみたいですが、私は朝方は爆睡してました。最近は睡眠が不規則です。冷え込みで睡眠が浅いと思っていたのですが、どうやら、そうでもないみたいです。朝方の睡眠が本睡眠みたいに調子をかえているのかもしれません。睡眠薬はもはや、効き目は発揮せずに受診となりそうです。睡眠導入はあっさりといくのですが、深夜に起きて、やることもなくパソコンをいじったりしているので、精神衛生上、よくないことはわかっているのです。前にブログに書いていたのですが、訪問看護の方に愚痴をこぼしたりしているのです。それも、本能的欲求による、転嫁にあると思い始めました。良い意味においても、悪い意味においても、攻撃性や意欲、探求心、向上心、野心が往き処を彷徨っている形でしょう。自身の正当化かもしれませんが、薬を飲んで抑える部分が反発的作用を施して、余計に意識を暴走させているのかもしれません。勿論、食べ物、運動の抑揚、頭(脳)の働かないことによる、習慣的読書とパソコン作業の無理強いも強迫的観念を強めているのかもしれません。結局は無理をしないことが安直な判断なのかもしれません。シンプルな思考に落とし込む為にはそれなりの経過、自己観察、自身と他人(ひと)の客観的判断が必要です。今の自身にとっては、訪問看護の方の経過観察は無理強いな部分もありますが、手抜き出来ないものかもしれません。少しずつではありますが、問題提起と解決をしているわけです。訪問看護の方の力、家族の力を借りて、この冬を生き抜こうと思います。間髪入れずに問題は起こってくるので、生きることに執着する必要があります。時間の経過を待つ、土岐を待つことになりそうです。その中で自身に出来ることは無理強いしない、リラックス、考えることではなく、感じること、必要なときに行動することです。退化はせずとも、ほんの微々たる、少しずつ、若干ずつ、退行し、中間へと自身の身体を落とし込むことかもしれません。なかなか、難しい問題かもしれませんが、迷ったときは生き抜く為に今、現在、どういった行動をすべきかを感じ取ることが重要かもしれません。私は生かされているのです。先祖代々、次いできた時代を繋いでいるのですから、生きることに執着することは弱くともしなくてはならない試練を受容する以上、必須なことかもしれません。こういった考え、感じ方では力は抜けないのかもしれませんが、一瞬でも数秒でもリラックス出来たらいいのかもしれません。オンとオフ等、自然界に生きている以上ないのかもしれません。だからこそ、呼吸が重要視されてくるでしょう。謙虚な生き方、率直な真面目さを活かしてこの冬を生き抜こうと思います。

ひとの生き様を視て、弱さを活かすも殺すも自身との闘いの末である、闘いから姿を消しても、遺す思い出は偉大なる、尊敬できる、愛、情のあるひと。

 こんばんは。年末に入り、冷え込みも激しいですね。今日は訪問看護の方が来られました。その方にはブログを書いていることを伝えていて、みせているのですが、「ブログ、最近書いてますか」ときかれて、「書いてないです」と伝えました。その言動がトリガー(きっかけ)となって久し振りに書いてます。その方は妊娠されて、もうそろそろ休暇に入られるので、最近、しんどい素振りはみせないですが、私の所に入ってくれています。仕事はしんどいものですが、大きなハンディキャップを持って、働いている方は沢山居られるのですね。私は最近は小言ばかり口にし、訪問看護の方に愚痴を言って解消することをしているので、自責感は感じるのはしょうがないのかもしれません。でも、いつかはこの悔しかったことをバネにして立ち上がってみたいです。親には何の恩返しも出来ず、只、世話を掛けているばかりでは私は死んでも死にきれないです。私は親の苦しみはわからないですが、温情はわかっているつもりです。私は親の愛を受けて、ここまで生きてきたのですから、かえさなくてはなりません。ハンディキャップは持っていても、誠意をみせなければなりません。真面目で結構、そういう生き方しか出来ないのですから、私の生き方でみせていくしかないです。ネガティヴな感情は、活かし方によってはポジティヴな感情よりも力を発揮することを信じています。そして、そのマイナスをプラスにする遣い方はこれまで、ビーチバレーやデイケア、就労移行支援事業所等、これまでの経験で病、症状と向き合って共存してきたことが糧になるのではないかと思います。いや、糧にしようと思います。生きている以上は自身との闘いだと思っています。辛い、苦しいことを経験するたびにあのときよりかは良いとネガティヴな過去を知っているがために、耐える自身が居ます。朝、昼、夕、寝る前に薬を飲んでいても、起き、立ち上がり、運動し、手作業し、読書し、鍛錬し、認識して、過去の経験と照らし合わせて、きついけど、しようと出来てくるものと思います。日々の波のある生活、バイオリズムは健常者、障害者、違いはあれど、活かせば、弱さも、個人的な人格造りの基礎と化します。私は、両親の親が両方、亡くなってしまいました。最近、母方の母が亡くなって、別れは辛いですが、お坊さんがその時、「さようならではなくて、またね」と言ってあげてくださいといわれました。私にはわかるには時間がかかると思いますが、兄にも「またね」、「またいつかね」と言ってあげたいと思います。死ぬまでは「まっててね」と伝えたいと思います。

容易な選択で、思考操作、思慮分別出来ている。経験上での、怒り、憤りによる問題解決能力向上の成果の若干の確認。

 こんばんは。今日は朝から雨が断続的に降っていたようです。降ったり、止んだりを繰り返していました。私は今日は午前7時台に起きて、朝食を摂って、薬を飲み、うとうとしながら、ラルクアンシエルの音楽を聴き、朝食後90分経って珈琲を飲み、朝から読書に耽っていました。読書の時間が終わると起きながらグロッキーしていました。午前の途中、珈琲をもう一杯飲んで起きて、昼食を食べて、また珈琲を飲み、少し休もうと思ったのですが眠れませんでした。読書中にレキソタン錠を飲んでいたのですが眠気というよりかは頭痛がきました。直近の珈琲摂取は3杯ですが、今日は4杯になりました。夕方に仮眠を30分程度摂れた時にすっきりとした感覚はありました。今週のB型作業所は1日通所でした。でも、1日でも意義ある通所となりました。とても遣り甲斐がありました。その日は心地よい日となりました。社会との接地面であるB型作業所に通う日は力が湧いてくる感じがあります。飲食店で働いたりしていた時は無理していた自覚はあります。作業自体は慣れていたのですが、環境は私にとっては過酷なものとなりました。従業員や上司は勿論、優しい言葉を掛けて気を遣ってくださるのですが、切迫した緊張感やせわしない状況が圧迫感を与えて私はコチコチになり、身を強張らさせてその状況で作業を勤めていました。健常者の方ならば、それは当たり前ではないかと思うかもしれませんが、私のような症状をもつ者、私の場合は立って居られるのがやっとの状況でアドレナリンを出して、必死に身体、特に手先に集中して作業するので周りの同調と自身の作業への没入による混乱は激しく切り替えも難しかったです。タスクと声を出してチームワークを取ることは簡単ですが、視界の切り替え時に気を抜くと没入出来なくなるので、ずっと作業中は緊張状態です。上手く表現できないかもしれませんが、私の場合はマルチタスクになっていました。今も多少、昔の職場を思い出して、話しを脱線させてしまいましたが、これからの展望を描こうと思っていたのですが、若干、ネガティヴになりつつあるので、今週の良かった点を挙げてモチベーション維持に努めようと思います。寒くなりつつある中で、B型作業所、以外の活動時間、起きて居られる時間を長く保てていることは良かったと思います。ネガティヴな妄想中に切り替えを気分転換を薬、水分補給、間食、散歩、トイレ、読書、ストレッチ、スクワット、ちょっとした移動、ドライブ、買い物くらいかな、行えたことです。特に成長というか収穫は気持ちの面で自身に柔軟に対応、応答していると思います。読書効果が発揮されて、切り替えが上手くなっているのではと思います。

考えて鑑みる、整理、消耗する、回復、又、辿ることが私の今の生活、用途と思う。

 こんばんは。最近は寝付きは凄くいいのですが、寝起きは悪いです。疲れているようです。夜食抜きで午後6時以降は食べない生活も慣れてきたのかもしれません。週末は疲れがドッと来るのもかわらずで、午前10時頃起きて朝食を摂って薬を飲み、昼頃まで寝ていました。今日は昼飯を食べて祖母の病院に面会に行ってきました。私は付いていっただけで、ロビーで待ってました。今、祖母が入院している病院は面会は1人だけで、エレベーターを上がって上の階に行く人数も1人だけになってて感染対策も徹底しているようです。前は2人くらいでもエレベーターで上に上がるのは許されていたのです。病室に入るのは1人だけですが、感染予防だそうです。今日は病院に母と行ったのですが、今日は祖母は起きていて少しだけ会話出来たようです。私は寝起きで昼飯を食べて行ったのでしんどい感じがありました。帰ってきてからも、しんどかったです。少しパソコンで作業していたので、気をそちらに向けて居られたのです。一日の内でしんどい時は何回か来るのですが、あまりそのことに気を向けて神経を磨り減らすのは今日はやめようと思います。気を張って何か作業していたり、集中したり、没頭することは前に何回も書いているとは思いますが、そうしていないと済まないようです。今日は休みの日なのにもかかわらず、大夫、気を張っていた、又は今そうしているようです。なんらかの脅威があるときは身構えるのは生物本能の機能なので、薬で緩和は出来るのかもしれませんが、薬を飲むと緩慢にしているだけなので、自力で脅威を感じて、頭(脳)を遣って、解決や解決策、方法を考える時間を持つのも重要でしょう。私や同じ症状を持った方の考えや思考法は必ず何らかの意味、意義があることであり、そのことを柔軟に整理することが出来たら、症状と共存出来るのでしょう。これも何回も書いているのですがあくまでも付き合ってその時、ケースバイケースで対処していかないといけないでしょう。「ひとは試練が与えられて、乗り越えられない試練を神は与えない」と皆さんも知っているのでしょうが、私は受容する試練に対しては全力で取り組む必要はあるのでしょう。それが私にとっては今は「生きること」「生き抜くこと」「天寿を全うすること」なのかもしれません。仕事は用途であり、途中経過の一部に過ぎないのです。頭(脳)の整理の方が私にとっては、仕事よりも先駆なのかもしれないのです。又は気付きの一部に過ぎないのかもしれません。考えて、整理することを一生懸命になることが必要なのかもしれません。

精神疾患の理解が広まることを期待しています。

 こんにちは。昨日、夕方、リスパダールの頓服を久し振りに飲んだので午前10時頃に起きて、朝食を摂って薬を飲み、正午あたりまでダウンしていました。リスパダールは20歳台は水薬を飲んでも、そんなにきつくはなかったのですが、30歳超えてからは相当しんどいですね。体力的な問題なのか、精神的な問題なのか、あまりわからないのですが、鈍麻しますね。今月は割とB型作業所も週2くらいのペースで通えるようになりました。睡眠のペースも悪くないです。昼か朝にドッと寝るときがありますが。そういう意味でいえば、B型作業所の作業が安定している分、疲れが出ているのかもしれません。気を張っている感覚は前よりは鈍いというか軽いのですが、ひとが少数でも気疲れしているのかもしれません。B型作業所に通っているときは帰ってきてからだったのですが、午後3時前後くらいの間食、軽食を摂るようになって夜食はなくなりました。夕食が午後6時までに終えるので、それ以降は水分補給のみになりました。散歩などの運動は大夫減ったのですが、腹回りのくびれが引き締まった感じはあります。運動は散歩よりもストレッチ重視になりました。散歩もしているのですが、ストレッチと食事制限で身体は大夫引き締まった感じはあります。有酸素運動よりも基礎代謝コルチゾール減少で痩せている感じです。私は無理なく出来ているので、きつくなく、楽ですね。体重計は2,3キロ減っているぐらいですが、明らかに鏡の直視で替わっているのです。ストレス軽減で大夫すっきりしてます。今のペースで食事制限とストレッチをして、筋トレを少し無理ない程度で追加してみようと思います。今回の日記は、運動記録みたいになってしまいましたが、私の症状による薬は本当に太りやすく、生活習慣病も起こりやすいので、健康維持は肝要なのです。規則正しく生活を行うのは、この精神疾患のひとの気質上、心掛けられるのです。この精神疾患は真面目できっちりしているひとがなりやすいので、気持ちと心、頭(脳)の柔軟さが欠けるひとでもありますので、病気の理解が広まって、偏見や差別がなくなることは難しいのかもしれませんが、広まって欲しいと思っています。上記に書いた、真面目、謙虚、誠実さ、実直さがいい方向に作用すれば、社会に順応したり、仕事で成果を上げるひとが増える疾患だと思います。私も社会復帰をしたいと思っているので、精神疾患が理解されることを期待しています。