鳶飛魚躍

 対人恐怖症、統合失調症と共存して生きています。日頃の行いを頭の中で整理する為のアウトプットとして利用させて頂いております。ご容赦下さい。気分屋で症状のこともあり、課せられて書く、載せるよりかは暇潰し程度に気分が乗った時に日記程度にのせてます。

ひとの生き様を視て、弱さを活かすも殺すも自身との闘いの末である、闘いから姿を消しても、遺す思い出は偉大なる、尊敬できる、愛、情のあるひと。

 こんばんは。年末に入り、冷え込みも激しいですね。今日は訪問看護の方が来られました。その方にはブログを書いていることを伝えていて、みせているのですが、「ブログ、最近書いてますか」ときかれて、「書いてないです」と伝えました。その言動がトリガー(きっかけ)となって久し振りに書いてます。その方は妊娠されて、もうそろそろ休暇に入られるので、最近、しんどい素振りはみせないですが、私の所に入ってくれています。仕事はしんどいものですが、大きなハンディキャップを持って、働いている方は沢山居られるのですね。私は最近は小言ばかり口にし、訪問看護の方に愚痴を言って解消することをしているので、自責感は感じるのはしょうがないのかもしれません。でも、いつかはこの悔しかったことをバネにして立ち上がってみたいです。親には何の恩返しも出来ず、只、世話を掛けているばかりでは私は死んでも死にきれないです。私は親の苦しみはわからないですが、温情はわかっているつもりです。私は親の愛を受けて、ここまで生きてきたのですから、かえさなくてはなりません。ハンディキャップは持っていても、誠意をみせなければなりません。真面目で結構、そういう生き方しか出来ないのですから、私の生き方でみせていくしかないです。ネガティヴな感情は、活かし方によってはポジティヴな感情よりも力を発揮することを信じています。そして、そのマイナスをプラスにする遣い方はこれまで、ビーチバレーやデイケア、就労移行支援事業所等、これまでの経験で病、症状と向き合って共存してきたことが糧になるのではないかと思います。いや、糧にしようと思います。生きている以上は自身との闘いだと思っています。辛い、苦しいことを経験するたびにあのときよりかは良いとネガティヴな過去を知っているがために、耐える自身が居ます。朝、昼、夕、寝る前に薬を飲んでいても、起き、立ち上がり、運動し、手作業し、読書し、鍛錬し、認識して、過去の経験と照らし合わせて、きついけど、しようと出来てくるものと思います。日々の波のある生活、バイオリズムは健常者、障害者、違いはあれど、活かせば、弱さも、個人的な人格造りの基礎と化します。私は、両親の親が両方、亡くなってしまいました。最近、母方の母が亡くなって、別れは辛いですが、お坊さんがその時、「さようならではなくて、またね」と言ってあげてくださいといわれました。私にはわかるには時間がかかると思いますが、兄にも「またね」、「またいつかね」と言ってあげたいと思います。死ぬまでは「まっててね」と伝えたいと思います。