鳶飛魚躍

 対人恐怖症、統合失調症と共存して生きています。日頃の行いを頭の中で整理する為のアウトプットとして利用させて頂いております。ご容赦下さい。気分屋で症状のこともあり、課せられて書く、載せるよりかは暇潰し程度に気分が乗った時に日記程度にのせてます。

考えて鑑みる、整理、消耗する、回復、又、辿ることが私の今の生活、用途と思う。

 こんばんは。最近は寝付きは凄くいいのですが、寝起きは悪いです。疲れているようです。夜食抜きで午後6時以降は食べない生活も慣れてきたのかもしれません。週末は疲れがドッと来るのもかわらずで、午前10時頃起きて朝食を摂って薬を飲み、昼頃まで寝ていました。今日は昼飯を食べて祖母の病院に面会に行ってきました。私は付いていっただけで、ロビーで待ってました。今、祖母が入院している病院は面会は1人だけで、エレベーターを上がって上の階に行く人数も1人だけになってて感染対策も徹底しているようです。前は2人くらいでもエレベーターで上に上がるのは許されていたのです。病室に入るのは1人だけですが、感染予防だそうです。今日は病院に母と行ったのですが、今日は祖母は起きていて少しだけ会話出来たようです。私は寝起きで昼飯を食べて行ったのでしんどい感じがありました。帰ってきてからも、しんどかったです。少しパソコンで作業していたので、気をそちらに向けて居られたのです。一日の内でしんどい時は何回か来るのですが、あまりそのことに気を向けて神経を磨り減らすのは今日はやめようと思います。気を張って何か作業していたり、集中したり、没頭することは前に何回も書いているとは思いますが、そうしていないと済まないようです。今日は休みの日なのにもかかわらず、大夫、気を張っていた、又は今そうしているようです。なんらかの脅威があるときは身構えるのは生物本能の機能なので、薬で緩和は出来るのかもしれませんが、薬を飲むと緩慢にしているだけなので、自力で脅威を感じて、頭(脳)を遣って、解決や解決策、方法を考える時間を持つのも重要でしょう。私や同じ症状を持った方の考えや思考法は必ず何らかの意味、意義があることであり、そのことを柔軟に整理することが出来たら、症状と共存出来るのでしょう。これも何回も書いているのですがあくまでも付き合ってその時、ケースバイケースで対処していかないといけないでしょう。「ひとは試練が与えられて、乗り越えられない試練を神は与えない」と皆さんも知っているのでしょうが、私は受容する試練に対しては全力で取り組む必要はあるのでしょう。それが私にとっては今は「生きること」「生き抜くこと」「天寿を全うすること」なのかもしれません。仕事は用途であり、途中経過の一部に過ぎないのです。頭(脳)の整理の方が私にとっては、仕事よりも先駆なのかもしれないのです。又は気付きの一部に過ぎないのかもしれません。考えて、整理することを一生懸命になることが必要なのかもしれません。