鳶飛魚躍

 対人恐怖症、統合失調症と共存して生きています。日頃の行いを頭の中で整理する為のアウトプットとして利用させて頂いております。ご容赦下さい。気分屋で症状のこともあり、課せられて書く、載せるよりかは暇潰し程度に気分が乗った時に日記程度にのせてます。

ひとは生きる糧を与えてくれる。しかしそこから負の感情を出す。ひとは力という傲慢で正しいものを出すと感じる混乱の日。

 今晩は。先週の精神科受診から朝食後、寝る前に薬を替えて4日目程度ですが、緊張と集中、眠気と覚醒の波の中に居ます。めまぐるしい状態の変化に疲れ果て、それでも何故か集中と覚醒の中に身を静めようとしている自分が居ます。就労への途は遠のきそうですが、生かされている現実には向き合うことになりそうです。直近で言っていたひとの声が響いてきます。「一生懸命に生きましょう」。私は一生懸命に生きているでしょうか?自分に問いかけたくなるほどに曖昧に感じていることに後悔の欠片が感じます。けれども間違いなく、「一生懸命に生きましょう」と言ってくれたひとの言葉は私を強くするに違いないです。ともすれば、生きる糧になるでしょう。ボーっとしてきても、尚も私は集中の中に居ます。生きている証を刻みたくて集中しています。罪悪感に弄ばれる日々ですが、間違いなく生かされていることを感じています。ひとはひとりでは生きていけないと強く感じます。朦朧とする日々の中で生かされていることを感じます。意識は再び覚醒を求めて手を動かします。しかしながら、寝る時間のようです。ここまで来ても従順に全うに生きようと思うことが出来ます。こういうことが出来る自己を肯定してあげようと思います。そういうちょっとした褒美を報酬をあげて自己評価していこうと思います。大夫ネガティブな感情を吐き出したので楽になった気がします。ひとの一生懸命なパワーを受けて、負の感情を吐き出すのは悪い事のように感じます。しかし、それほど自分に不甲斐ない感情を持っているということなのでしょう。謙虚に言えば、自と他の違いのギャップに苦しんでいるだけでしょう。前向きに言葉を発することだけが正義と思っていた訳ではないですが、善い事を引き寄せると思っていたのです。悩みや不安を抱え込み過ぎる性格なので偶には許して下さい。後々、反省はしそうですがプライドなんて持っててもしょうがないと思うので今さっきも書いたと思うのですが偶には許してください。今日は今日で区切りを付けて切り替えて明日から、謙虚に堅実に生きていこうと思います。