鳶飛魚躍

 対人恐怖症、統合失調症と共存して生きています。日頃の行いを頭の中で整理する為のアウトプットとして利用させて頂いております。ご容赦下さい。気分屋で症状のこともあり、課せられて書く、載せるよりかは暇潰し程度に気分が乗った時に日記程度にのせてます。

鈍い感覚の中に、人間の純粋な情を持てて、日々を送ることに感謝して、気を配るひとたちのことを想う。

こんばんは。昨日は夜中に何回か起きて、寝てを繰り返して朝を迎えました。今日は朝方、歯ブラシをして、薬を飲み、寝ました。昼前に起きて朝食兼、昼食を摂って、仮眠を摂っていました。母が今、居るので、祖母の病院に行かないかと言われて付いていきました。祖母は昼食後で寝ていました。「おばあちゃん、おばあちゃん」と3,4回くらい呼び掛けました。呼ぶ度に、聞こえているのかはわかりませんが、眼がピクピクとしばたたかせていました。その病院は初めて行きました。コロナウイルスの件で母からは行かない方がいいと念を押されていたのですが、今日は母の心変わりもあったのかもしれません。今日は兄貴の7回忌だそうです。私の気分や体調はあまり、変化はなくて、鈍化していっているようです。勿論、過敏な時もあるでしょうが、今日もただ流れていく時を追って行っている感じです。祖母が施設に居た時は話しも出来て歩いたり、応答もあったのです。それが今は寝て起きてを繰り返しています。私もそういう祖母の姿をみて、人間というものは生きていることが重要なんだとひしひしと感じます。毎日、誰かと一緒に居られるだけでいいんだと思います。ひとりだと孤独ですが、一人暮らしのひとも仕事しているときのコミュニケーションだったり、そういうコミュニティに属しているひとはその中で居場所の上下関係があるだけなんだと思います。そして、その中で作業の出来によってサラリーの分配があるだけです。このひとだけが特別でこのひとは特別じゃないとかはないんだと思います。価値観と生きてきた環境、作り上げた経験の差異はあれど、個性や個別性はひとそれぞれあって、尊重されたり、されなかったりしますが、続けていれば、周りには必ず、やってきたことをみているひとはいます。評価を与えてくれるひともいます。辛いことや悲しいことがあっても、嫌なことがあったりしたときにひとのせいにしたり、ストレスが溜まったときにひとにぶつけたりせずに、何かに没頭したり、集中して清算していって、周りに迷惑を掛けずに腐らずに生きていけばいいと思います。私は気持ちを綴って共感してくれるひとがいたら嬉しいです。でも、あまり期待は良い意味でしていないです。認知されれば十分です。私にとってはあまりいいことはないですが、色々なもの、こと、ひとの理解が深まってきています。日常生活にも大きな変化はありませんが、偏屈にもなっていないのでそれでいいと思います。弱い立場にあるひとにとっても生きやすい社会が出来て欲しいと思います。