鳶飛魚躍

 対人恐怖症、統合失調症と共存して生きています。日頃の行いを頭の中で整理する為のアウトプットとして利用させて頂いております。ご容赦下さい。気分屋で症状のこともあり、課せられて書く、載せるよりかは暇潰し程度に気分が乗った時に日記程度にのせてます。

他人(ひと)と近しく至れない今日も生きている実感だけは在る病気という存在の意義は知れない、知りたいのかさえわからない。

 こんばんは。今日は天気は良かったのですが、朝から風が強くて不安を孕んだ日になりそうだと解釈していました。愚直に言いますと自我との闘いにより折れました。数日前かそれ以前から気付いていたのか、それともそういう自分を替えたいと思っていたのかもしれません。率直に言うのは難しいですが、自分をポジティブに偽ろうと思うのは止めようという考えです。勿論、ポジティブに考えるということは大事であり、善い事であり、傍から診れば、問いただす必要のないことなのです。しかし、私は日記形式で綴っているので自我に大きく偏狭します。なので無理に無駄に偏屈して、ポジティブに綴る必要はないのかもしれません。他人の意見の影響なのですが、真実味もありそうですし、只、単に世の風潮に流されてるだけかもしれませんが、信じてみようかと思います。偏った考えをここ何年間か過ごしてきたのでかわるかわかりませんが経験と思ってかえていこうと思います。長い年月、自身を肯定感で満たす文綴りで費やす期間を行って来た為、かわるのは難しいかもしれませんが、頭(脳)を開放する気持ちで綴ってみようと思います。自身を肯定するのは大事ですが、辺り障りのない程度に自身を時には内省の意味も込めて激励していこうと思います。話しは戻りまして今日はジムに行ってきました。ジムのトレーナーさんと会ったのですが挨拶しかできませんでした。普段、挨拶出来る方とも何も語ることなく、ひたすら筋トレをしました。まあそれはそれで集中できたのでよかったのかもしれません。他の方の日常も時には試練や平凡、非凡、娯楽に満ちた日常を過ごしたのかもれません。それでも、自身は仕事も出来ず、ただ病気と向かい合い顔を合わせることもなく、すれ違ったり、反発したり、共生して生きていくんだと思います。孤独は向き合って、お喋りをすることもなく只、ひっすらと居ます。何と無く辺り障りのない他人と特定の距離感(そんなに近くない)をとって過ごしていく日々が過ぎていきます。今現在はジムに行ったこともあり、外の空気も吸えたし、他人とそんなに近くない共生感を感じ虚しくはありません。不思議とこういう時間に慣れたのか、それとも只単にアウトプットしている自身に酔いしれて満足しているのかわかりません。誰か助けて欲しいですが、もっと現状に満足していない他人(ひと)等至る程居ます。報われない病気を抱える人もいます。そして、報われなかった今日一日の中で途絶えた命もあるはずです。明日を迎えることが出来るかもしれない一人として出来ることは出来たのでしょうか?疑問符を押しつつ明日も謙虚に過ごそうと目指して生きていきます。