鳶飛魚躍

 対人恐怖症、統合失調症と共存して生きています。日頃の行いを頭の中で整理する為のアウトプットとして利用させて頂いております。ご容赦下さい。気分屋で症状のこともあり、課せられて書く、載せるよりかは暇潰し程度に気分が乗った時に日記程度にのせてます。

陰の部分を受容し、認知、理解し、包含し、主体性を取り戻し、陽の部分と連結する。

 こんにちは。今日は晴れています。少し感じたことを書いてみようとおもいます。私はこれまで、受け身であり、受動的だとおもっていました。それは、宗教的、思想的にそういう部分が割り振られていると感じ、固定概念的に、既成概念的にもです。この強迫的概念、思想の、認知の歪みによって、抑圧されていると感じていました。元々、私の病気は強迫的傾向があり、自身を上記で示している通り、自身の感情であったり、行動を抑圧して起こる症状だと私は解釈しています。でも、私はこの強迫的傾向を感じても、止められるものではないとおもっています。私自身の経験や過去の自身を肯定することが重要だからです。自身の葛藤を悔やんでもしょうがないのかもしれません。葛藤を通して、肯定して受け入れることを通して、わかること、感じたこと、おもったことが大きい部分を占めています。つまり、これから先、今、現在から、未来に活かす為に、どう感じ、おもい、どう行動していくかが自身に問われているとおもっています。思い悩む自身と客観的に向き合うという言い方がいいのかもしれません。私は最近、精神科クリニックのリハビリを受けています。その中で、笑ったり、楽しんだりしています。笑ったり、楽しむとドーパミンも放出されます。抑圧された、ドーパミン受容体を自身の力で放出することで、活性化して脳の機能を向上させているような気がします。認知行動療法は患者自身の主体性の向上、ひとから与えられたものやことではなく、患者自身の力で自力で踏ん張ったり、時には頑張ったり、よく云う、自己回復力みたいなものを育むことなのもしれないです。辛いこと、悲しいこと、不条理なこと、不本意なことも社会に出ていくとこれまで沢山ありました。それらのことは陰の部分であり、もてはやされることはないですが、これから先に活かそうとおもえば、バネのようにしゃがんで、ジャンプ、飛躍するように活かすことが出来るような気がします。私も単純にシンプルに失敗は成功の元とわかっていても出来ないとおもっていました。でも訓練すれば、自信などなくても、身体の免疫機能が優れているように、思い通りにはいかなくても、補助する部分がカバー出来たりもします。難しいことはわかりませんが、どうにかなるとおもったり、言霊のように、ポジティヴな言葉を発していれば、良いことが連続して起こったりもします。何が起こるかわからないのです。私はたまたま統合失調症という症状と一生付き合うこととなりましたが、仕事のように肩書きみたいなものかもしれないです。仕事という概念だけに縛られることなく、日々の家事であったり、受けられたものやことに真摯に取り組んでいれば、受けるだけではなく、与える側にもなれるような気がします。