鳶飛魚躍

 対人恐怖症、統合失調症と共存して生きています。日頃の行いを頭の中で整理する為のアウトプットとして利用させて頂いております。ご容赦下さい。気分屋で症状のこともあり、課せられて書く、載せるよりかは暇潰し程度に気分が乗った時に日記程度にのせてます。

需要と供給のバランスを頭(脳)の中で保ち、社会から隔絶する怖さを妄想から知り、繋がりを求め再び、統合、統一の道を探す。

 こんばんは。今日は昼から雨みたいでしたがそうでもなかったです。今日は午前8時前後に起きて日中も起きて居られました。途中、しんどい部分も何度かありましたが持ち堪えて今迄起きていました。月曜日にB型作業所に午前中から居て作業してました。滞在はフルで居たので、昼休憩後くらいに妄想症状が出始めました。午前中は1人で作業してて、少人数で作業し、また1人作業に入って30~40分くらい経った頃に妄想症状か現実に現場の作業所がピリピリしていたようです。幻聴、幻覚は私は視覚情報で把握出来ても、ある程度までしか判別出来ないので、わからないですが、その時は口渇感を酷く感じていたので、妄想状態にあった程度しかわからないです。実際に言っているひとが居たのかもしれませんし、誰にも判別出来ないことです。今日、訪問看護の方と電話で会話して整理する方が賢明だろうと言われたので、今日はB型作業所には行きませんでした。心のモヤモヤがあるままに行って作業しても何も得られるものもないし、疑心暗鬼のままで行って余計にしんどくなったらどうしようもないですし。私がフルで調子を悪くしてまで、居たのも反省点として挙げられますが、黄色信号を赤信号になる時が目に見えて判別出来ない状態まで集中、没頭していられたのも及第点として良い点でもあると思います。ひとは優しいものなのかどうかわからないまま過ごしています。悪の部分を引っ張り出して妄想へと転化させているのは私の仕業なのでしょうか?私の強情な部分が悪へと転化しているのでしょうか?良い意味で視界が拓けたと思ったら、そこに待っていたのは孤立した島だったのでしょうか?私は例えば誰かパートナーがいる島であれば、道具があれば、そこを切り拓いていけるのかもしれませんが、孤独で特技もなしとなると夕闇、断崖絶壁に意知的にも追い込まれるでしょう。私は空想上のもの、ことと闘っているのでしょう。頭(脳)の中の居場所は計り知れないほど、所有していますが、身体の居場所はどこにあるのでしょうか?家だけ・・・。身体の居場所が少ないのは頭(脳)のキャパシティーを多く持っているからでしょうか?かつて、私は身体の運動出来る居場所、存分に発揮出来る居場所をもっていました。そこは私にとって、故郷の海浜公園でした。飛び回り、走り、尻餅つきながら、そこを縦横無尽に活用していました。ビーチバレーボールをさせていただいていました。頭(脳)の中を可視化は出来ないですが、創造している最中かもしれません。でも、私は孤独に慣れていません。創造する時間を増やせば慣れるものでしょうか?私には、解り得ないので、謙虚から再び脱し明日に積極性を持っていこうと思います。